はじめまして。
アダルトチルドレン 愛着障害
こんな方向けにカウンセリングを提供しています。
心理カウンセラー MOMOです。
プロフィール
幼少期は、父と母の3人家族。両親は、共に酒好きで、父は酒乱でもありました。家庭環境はとても悪く、父が母に暴力をふるう姿を毎日びくびく怯えながら見て育ってきました。
幼少期から機能不全家族で育ってきた為、アダルトチルドレン要素が強く、社会人になってからも他者との距離感に悩まされ、依存 執着が強くなる傾向も取り持ちながら人との関わり合い方にストレスを感じて過ごしていました。
常に人の顔色をうかがいながら過剰に気を使い自己表現や感情表現が乏しく何をやっても心から楽しむ事ができず、まさに愛着障害の症状の1つでした。
心の中はいつも何かを失うかもしれないと言う恐怖心と孤独感でいっぱいでした。
そんな中、カウンセリングを受けたり、心理学を学び生きづらさを克服!人生の大逆転となりました。
ご興味を持って頂けましたら詳しいプロフィールを覗いて見て下さい。
酒乱だった父に対する恐怖と家族団らんを知らない孤独な子供時代
大好きな父ではありましたが とても怖い父でもありました。
大酒飲みで酒乱であり短気でした。母には厳しく何か気に入らない事があると暴力を振るい暴れ狂うのです。素手で殴り、物を手にし殴り…。
怖かった…。母を助ける事もできず、そっとその場から離れ玄関先のブロックに腰を下ろし日が沈まないのを願ったものです。怖くて家に入れなかったです。
逆に父と母が仲良くしている時は週の半分以上は外食。
酒好きの二人は私の事はお構いなし!店の片隅でポツンと何時間も待たされていました。
時には店の方に自宅まで送ってもらい長い夜を一人で過ごしていました。
今、振り返ってみたら機能不全家族で育ったので当然アダルトチルドレン要素が強くなったと思います。
両親の離婚によって 父、友人、家を一気に無くす喪失感
14歳の時、両親が離婚する。
母は私に『お母さんに付いてくると貧乏な生活をするだけだから我慢してお父さんとこの家に居なさい!そしたらこの家はあんたの資産になっていくから』と父と暮らすように説得されましたが母との生活を選びました。
父を失い
住み慣れた家を失い
友人との別れ
大切なものが一気に崩れ去りました。
食事が喉を通らずスカートはぶかぶかになり ピッタリだった靴もぶかぶかになるくらい体は瘦せ細っていきました。
最後に父と交わした言葉も友達と交わした言葉も一切記憶にはないです。
生活での居場所も無ければ心の居場所も無い
母と二人の生活が始まると思いきや『お母さんは昼も夜も働かないといけないから
叔母さんの家に行きなさい!』と叔母に預けられました。
叔母と叔父 従姉妹との生活が始まりました。
当たり前の事ですが私専用の物など何一つ無かったです。
自分の部屋も机も椅子も茶碗もベッドも…。今まで当たり前に存在していた物が当たり前では無くなったのです。
買い物に出掛けても『あれが食べたい!あれが欲しい!』なんて言えなかったです。
叔母家族に付いて行くだけでした。何処にいても私はいらない存在で肩身が狭くストレスがたまるばかりの日々に心は疲れきっていきました。
生活の中での居場所も心の居場所も無かったです。
母は父の会社の社長と愛人関係。母へのイメージの崩壊
肩身の狭い思いに耐え切れず強引に母のもとに帰ると母は父の会社の社長と愛人関係を結んでいました。私を叔母宅に預けた理由はこれだったのか!
昼も夜も働くから寂しい思いをさせるからと言っていたのに…。
母親を放棄し一人の女としての時間を過ごしていたのを知って
『私の我慢は一体何だったんだろう?いい加減にしてー』と自分が思い込んできた母親像が音を立てて崩れました。
16歳 自立の一歩
高校は、進学はしましたが母とパートナー(愛人関係の男性)に対しての拒否反応は日に日に
強くなり『顔も見たくない!早くこの家を出たい』との一心で高校を中退しました。
私の気持ちを察する所か『高校も卒業しなくて恥ずかしいと思わないの?あんたは一体何を考えてるの?』と。私からすると 恥ずかしい?何を考えてる?こっちの台詞!
もう うんざり!と心の中で叫びました。
寮の完備付きの小さな電気会社に就職が決まり波乱が多かった16年間の生活からやっと解放されました。
満たされることのない恋愛
社会人となり、いくつかの恋愛をしました。
最初は、毎日が楽しくハッピーな気分でいれても、段々月日が経つにつれて私は相手にかなり依存をし、執着が酷くなるばかりでした。
特に、約束もしていないのに いつもかかってくる電話がかかってこないと激しく怒りの感情が湧き、かかってこない理由を勝手に妄想をして苛立ちは募るばかりでした。
とにかく自分の思い通りにならないと相手を責めるばかりでした。
普通なら穏やかに過ぎていく日常なのに何故か私の心の中はネガティブな思考ばかりが湧き上がり
適当な嘘をついては相手の出方を試し、期待外れな気持ちが反ってくると
そんな愛し方しかしてくれない=私を不幸にする男!といつもこのパターンに陥り長続きはしなかったです。
『愛されたい』と言う気持ちが強すぎて いつも心は満たされることはなく求めるばかりの連続
が知らぬ間に執着へと繋がっていきました。
これもまた機能不全家族で育ったアダルトチルドレン要素が色濃く映し出されていました。
結婚=自由のない生活
23歳で結婚。
夫は亭主関白!そして束縛が激しい人でした。
リラックスした心の状態での生活は難しく いつも緊張感で張り詰め重く苦しい日々でした。
外出となると、誰と?何処へ?何で行かなきゃならない?あんな奴らと付き合う必要はない!
これだけ言って最後の一言は行きたかったら行けばいい!と気持ちよく送り出してもらった事は無
く、時間も行動範囲も限られる一方でした。
我慢と忍耐の30年間
〇出産時、病院の受付で『俺、明日仕事だから帰る!』と荷物を看護師に預け病室にも入ってきませんでした。
〇これお願いーって何か頼むと『こんな事やらなきゃならないんだったら嫁さんもらった意味がない。』と。
〇オムツかえてーってお願いすると『汚いで嫌!』 等々。
〇寝ている私に対し、足を使って『おい!おい!』と呼び起こし 私は動物以下の扱い?と思った事もありました。
愛は、どこにあるだろう?
私は妻ではなく家政婦?虫けら?… 怒り・悲しみ・絶望を抱きながらの生活でした。
心の中では離婚を望むものの、子供の為に我慢しないと!と自分に言い聞かせては やっぱり無理!周りから何を言われるだろう?老後はどうする?悠々自適な生活を手放してどう生きていく?
ありとあらゆる事を頭の中で考えて決断する事が出来ず我慢と忍耐の30年間でした。
椎間板ヘルニアを患い職を失う
52歳 椎間板ヘルニアを患い長年携わってきた介護職を引退しました。
収入はどうする?
これから出来る仕事は何?
この体は一体どうなる?
計り知れない喪失感を抱きました。
ついに我慢の限界…離婚 幸せになる覚悟を決める
53歳 度重なる心のすれ違いに限界を感じ離婚を決意しました。
私は息子の結婚式を控えていたにも関わらず自分自身の幸せを望みました。
世間一般からすると母親だったら…とか色々言われても仕方がないかと思います。
でも、私は、私の幸せを選んだのです。
幸せになる覚悟!
望む幸せに向かっての一歩
今、愛する人がいます。
私の夢は必ず叶うと信じています。
長い人生の中で心の傷が詰まった引き出しは数えきれないくらいあります。
でも、受けてきた傷があったからこそ心の豊かさが備わっているはずかと思います。
その中には、沢山の気づきがありました。その気づきがあったからこそ 自分を信じ彼を信じる事が
出来るようになっているのだと思います。
今、振り返ってみると もがき苦しんできた過去の出来事は形を変えてギフトとなって返ってきました。
夢が叶うまでの様々な出来事は自分を成長させる為のただの通過点!
過去の私 今の私
過去の私は 自分がアダルトチルドレンとは全く気づいていませんでした。生きづらさを感じなが
ら長く苦しんできました。
ふとしたきっかけの中でアダルトチルドレンチェック✔をした所 ドンピシャだったのです。
驚きを隠せず色々と情報を集めていくと日本の人口の約80%以上がこのアダルトチルドレンとも言われている事実に対し自分がアダルトチルドレンだということに気づいている人、自覚している人は、まだまだそう多くはないとの情報に『今、私に出来ることは何?』と考えてみた結果 悩み、苦しんでる方々の声をお聞きし幸せへとの導きをお手伝い出来ればとの思いで心理学を学び始めました。
その中でのワークをいくつかご紹介いたします。
①どんなストレスも一瞬で解消するワーク。
②過去のこだわりの書き換えてトラウマを解消するワーク。
③未来の不安を期待に変えるワーク。
④自己肯定感が高まるワーク。
⑤ポジティブな状態を一瞬で呼び起こすワーク。
これらを学び、過去の私と同じように悩んでいる方々を救えるスキルを身につけました。
孤独、執着、依存があって苦しんでいる方
パートナーとの距離感がつかめない方
大切な何かをなくした方
幸せになる覚悟が決まるカウンセリングを提供しています。